イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

「あそび」のある遊び

最近、エルデンリングというゲームをやっている。僕は本当にこのゲームをよくやっている。その大きな理由の一つに、遊び手側が遊びを自分で工夫できる、その懐の深さだ。自分で自分ルールを設けて色々とプレイできるのだ。前身であるダークソウルの頃からそうだったかもしれない。 これはスマブラなどにも共通する。スマブラはもちろん基本となるルールはあるものの、遊び手側がさまざまな遊び方をトライできる。ルールを体力制にしたり時間制にしたり、アイテムの種類やステージの種類を変えたりすることで、遊びが広がる。加えて、たとえば「必殺技禁止」みたいな遊び方もできる。 僕はこういうゲームが好きだ。古(いにしえ)のゲーマーだからかもしれない。昔のゲームは文字通り容量が少ない。ところが、そこに今書いたような「懐の深さ」を設けることで、繰り返し何度でも遊べたり、別の遊び方を模索したりできた。そういう遊び方を昔からしていた。 逆に言えば、こういう遊び手側の工夫の余地がないゲームや遊び方にはあまりハマらない傾向にある。たとえば「タイムアタック」みたいなモードはほとんどやらない。おおよそ最適解みたいなものがあって、そこにどれだけ自分を近づけるか、といった遊び方はしない。これは今思いついた言葉遊びだが、「あそび」がない遊び方をしないのだ。 まあこれは単なる好き嫌いだ。僕はそういう遊びには参加しない、というだけでね。ただ、そういう遊び方をするゲーマーと最適解を求めるゲーマーがうまく区分けされたゲームだと嬉しいね。
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