空・無・間
僕は何か見聞きしているものに口調が影響されやすい。今は夏目漱石さんの講談集のようなものを友人に勧められてそれをAudibleで楽しんでいるから、こう、その時代の講演家の如くの文章の書き様になってしまいそうになる。昔はそれが劣化した猿真似をやっているようで小っ恥ずかしかったが、今ではそんなこともない。そうやって口調が変わると思考が変わる。いや思考が組み変わると文章の口調が変わるのか。まあ、とかくその変化を楽しんでいる。
夏目漱石さんといえば僕の世代ではお札の人、という印象だが、幕末に生まれ、明治から大正にかけて名を馳せた人物だそうだ。「こころ」「坊っちゃん」「吾輩は猫である」といった作品を輩出した文豪だが、いざ講演などを聞いてみると、おおよそ「おんなじ人間なんだな」と思うと共に、現代において社会課題となっているような事柄は、おおよそ百年ほど前には課題として論じられてきたことなんだなと思う。
日本において「失われた」という文脈はバブル以降の経済について取り沙汰されるけれど、「失われた日本」というと、まあ百年ほどに渡るんだろう。僕は全く体験していないから想像でしか言えないが、まあペリーの頃までは紆余曲折ありつつも保っていたニッポンが、マッカーサーの前後で失われたとする言論が観測できるので、そこに一票を投じるしかない。
もちろんYOASOBIもAdoも立派な日本だけれど、なんとも、グローバル社会における日本エッセンスという感じだ。空や無や間、そこから転ずる侘び寂びや演と舞といったあたりかな。そのあたりかな。
もちろん時勢があるし、昔は良かったなんて言うつもりもない。今の僕の病床は昔だったら多分、早死にしていたように思う。ただ、まあどうしてもヒトとモノに溢れた世界ってのは、先ごろ言った空や無や間とは相性が悪いよな。