イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

「プロダクト」という言葉が

今から書くことは特段、特定の集団を指しているつもりも特定の個人と紐づけた話題でもないのだが、こう書かないと邪推される世の中なので前置いておく。いわゆる「この物語はフィクションです」だ。 さても最近、僕は昨今の「プロダクト」という単語が僕はあまり好かないのだなと気づいた。これは僕の個人的な趣味嗜好の話だけれど、何かを作るときにプロダクトという単語を使うこと自体が、大きな泥沼に膝まで使っていることの証左かもしれない。プロダクトデザインだのプロダクトマネージメントだのという言葉にいつまでもしっくりこないのは、「プロダクト」という単語のほうだったのかもしれない。 何かを作る時、考えるべくの最初は「どういう世界観を望むか」といった方だ。ビジョンやらミッションやらみたいな単語を好む界隈もあるが、僕は「世界観」という単語を選ぶ。たとえば都会の貧困をなくしたいだとか、誰もが健康に生きられるようにだとか、そういう世界観をまず考える。その上で、その世界において足りないモノを作る。 そういう順番だと思うのだけれど「プロダクト」という単語を使うと、そっちが先に出てしまいそうになる。だから世界観に見合わない機能を増やすことに躍起になるし、無理矢理にプロダクトを使わせようという無理矢理な「マーケティング」「マネタイズ」が必要になる。そして「このプロダクトはそもそもいらんな」という判断も難しくなる。 まあ、こんなのもずっと昔から言われていて、だからこそミッション・ビジョン・バリューみたいな単語が生まれたのだと思うのだけれど、この横文字3連打も、そういう「プロダクト」に成り下がっている。この3連打を放てばいいわけじゃないのだが。
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