イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

重心のハナシ

ちょっと前にバガボンドの話題を書いたけれど、その時に言及した話をもう一度読みたいなあと思って取り寄せたモノがこのあいだ届いた。28巻〜30巻。宮本武蔵がちょうど吉岡一門との闘いを経て、その上でどう生きていくのか、というあたりを描いた話。 最初に読んだのは大学生の頃だから10年以上も前。あの頃に思った気付きが、今しっかりと根付いているんだなあと、今読みながら思った。それと同時に、まだまだ若造だった僕が今、おそらくはまだまだ道半ばだとしても、30半ばを越えた今読むと、違うところが響く。一度読んだから、一度味わったからそれで終わりというわけではないんだな、何もかも。 ここ最近は色んなことが色々と裏目に出た。そのほとんどは「こうしたほうがいいんじゃないか」「これからはこうするべきなんじゃないか」あるいは「こうしてほしい」という願いだったかもしれない。もしかしたらそっちで僕が役に立てるのかなだとか、あるいは新しい道があるのかなだとか、そう思ってまぶしいほうに釣られて、気付けば飛んで火に入る夏の虫ってやつだった。 体幹が、流れが、繋がっていなかったからだろうな。「本当のところはもう気付いていたんじゃないのか。」その通りかも。今は、幾分はマシなようにも思うし、もっと酷い泥濘に足を突っ込んでいるようにも思う。眠れてないせいもあるだろうな、これは。今はただ、かかとで、足で、骨で立とうと思う。重心のハナシ。
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