余剰をいじくるのが遊び
旧友と話していたが、「遊び手じゃなければ作り手にはなれない」という、少し前に書いた話題で大いに盛り上がった。
趣味というモノについても、そこには「消費」と「遊び」がある。遊びとは余剰でもてあそぶことだ。ハンドルの「あそび」が効いている、と言うでしょう。遊びとは、何かに対する余剰であーだこーだといじくることなのだ。そして、こういう遊びの先に、創意工夫がある。それゆえに、遊び手の先に作り手がある。
別に消費がダメというわけでもない。僕もおいしいものを食べるのは好きだが、料理で遊ぶことはほとんどない。僕は食事を消費しており、それを楽しんでいる。それはそれで全然OK。ただ、それは「遊び」ではない、ということは意識しておいたほうがよさそうだ。料理で遊んでいない僕は、料理人にはなれないのだ。
僕と彼は互いに「趣味は散歩」という人間なのだけれど、たまにそれを言うと、鼻で笑われることがある。散歩ほどおもしろいモノはないのに、人によっては全く魅力が伝わらないことがあって。それについても、「散歩が楽しくない人は、散歩で遊んでないからだ」という仮説に至って、それにすごく納得した。散歩ほど「遊び」であふれた行動もない。歩みを散らかすわけだからね。
そんな会話をした。こういう会話ができる友人は、貴重だ。