イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

イイカンジの「ふり」を

ちょっと前に「日本人は勤勉なふりをしている」ということについて書いた。おおもとは故・松岡正剛さんが語った言葉だ。お仕事には「稼ぎ」と「務め」があり、この双方ができてはじめて一人前であったのに、今の世では「稼ぎ」のほうに均一化されてしまっている。そのために、まったく「務め」ではないにも関わらず、ただ「稼ぎ」のために漫然と机に向かっているような姿が勤勉だと捉えられるようになってしまった、と。かいつまんで書くとこういうことだ。 まぁコレに限らず、おそらく僕らは「ふりをしている」ということに存外、囲まれているのだと思う。社交的なふりをしている。優しいふりをしている。愛しているふりをしている。そんな「ふり」で人間社会というのは構成されているのかもしれない。 それは別に悪いことでもなくてさ。たとえお互いが「愛しているふり」をしていたとしたって、その場に愛という空間が生まれたら、それは愛でしょう。たとえふりだったとしても、ふりとウソは違うわけでね。 でも、まぁ「ふり」である、という部分はちょっとは意識してもいいのかもしれないね。つまり、いきなり鋭くいくけれど、会議なんてのはおおよそ「仕事しているふり」なんだよ。仕事を本当にしたいんだったら、会議なんてほとんどいらないんだから。雑談してるほうがマシだよね。 なんとなく、こういう「仕事をしているふり」ってやつが世の中なのか、僕の回りなのかはわからないけれどね。蔓延しているんだと思う。その「ふり」がイイカンジのふりだったらいいけどさ。結構、なんか気だるい空気感のある「ふり」が多いんじゃないかなあ。 奥さんへのプレゼントなんてのは、これ以上ないくらいのイイカンジの「ふり」だよね。ごっこ遊びと言ってもいい。会議でも、イイカンジの「ふり」であればいいんだけどね。それは当人たちが「イイカンジだね」って思えるかどうかがすべてだね。
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