イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

心がけは自分の中に

昨日、「あの人いてよかったね」と思われるようにしたいね、という話を書いたが、そこに対する注釈として本日の文章を書き始める。 結論は変わらないが加筆したかったことは、そう思われるように心がけるということと、「そう思われることを望むこと」は、まったく違うということだ。真逆と言っていい。これは僕の世界観も影響するだろうが、「いてよかったねと思われたい」という気持ちはおおよそ徒労に終わる。答えを確かめようがないし、大体そんな気持ちで動く人はやかましいものだ。行為のうしろに「っていう俺、どう?」が出てしまう。 優しさに関する議論に近いと思う。僕は優しさというものを行為ではなく状態である、と結論づけている。つまり「荷物を持ってあげる」とか「お見舞いにいく」とかいう行為は「優しい」という状態の「結果」であって、行為が先んじるものではない。 それと同じで、「あの人いてよかったね」と思われるようにしたいね、というポイントで留める。そういう心構えを自分の状態に染み込ませる。結果、相手からどう思われるかなど確かめようもないしコントロールしようもない。そんなあやふやなものをゴールにすると自分がブレブレになってしまう。挙句の果てには「僕はこんなにも頑張っているのに頼られない」みたいな奇妙な反転が起きる。 大事なのは根っこ体幹のところでどうあるかだ。それが心構えってやつだね。心構えがずっしりしていれば自ずと「いてほしいと思われてるカナ」なんて考えることもないはずだ。どっちでもいいんだから。 まあ、あくまでこれは僕の世界観の話だけれどね。
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